更新日時:2018.08.09 08:00
2018年8月9日
建築史部会では、「賀茂社にみる近世神社の造営組織と建築様式」をテーマに、研究会を開催した。
日時:2018年7月28日(土)13時~17時
会場:大阪科学技術センター1階会議室
参加者:29名
プログラム
発表:村田典彦(京都府教育庁)
「移築遺構にみる近世賀茂社本殿の変遷」
発表:中西大輔(京都府立大学)
「近世賀茂社の造営組織」
コメント:加藤悠希(九州大学)
総合討議
司会:鈴木智大(奈良文化財研究所)
本研究会では、賀茂別雷神社(上賀茂社)および賀茂御祖神社(下鴨社)(あわせて、賀茂社と総称する。)を対象に、建築遺構および文献資料から近世神社の造営組織および建築様式の一端の解明を試みた。
村田氏は、宝塔寺七面堂(京都市伏見区)が賀茂社本殿から移築された遺構である可能性を見出した上で、その他の現存遺構および文献資料から建築の細部様式の変遷を明らかにした。かつ、柱配置の割付、梁の形状、垂木割の手法などから、古様に整備される傾向を指摘した。
中西氏は、営繕に携わった神官による日記から、17世紀の賀茂社における造営組織の変化を追った。上賀茂社では神社の運営全般に携わる「月奉行」による統括から、やがて臨時の奉行がおかれ、さらに元禄5年(1692)には営繕を専門とする修理方が、寄合の承認をうけて活動するようになり、下鴨社では祢宜家が造営方となり統括していたものが、遅くとも元禄3年(1690)には氏人が世襲する神殿守が担うようになっていたことを明らかにした。
加藤氏は、両氏の発表をうけて、主に伊勢神宮との比較の視点から賀茂社の特質を指摘した。造営組織については、大宮司が内宮と外宮を統括した伊勢神宮と異なり、上下両社の独自性がみられること、建築様式については伊勢神宮では千木や堅魚木の有無などが復古の議論の対象となっていたのに対し、賀茂社ではより建築的に高度な知識が求められそうな細部様式の変遷が注目されるとした。
総合討議においても、両発表に対する質疑が続き、現存遺構と文献資料の双方を駆使した賀茂社研究の展開について活発に意見が交わされた。
なお本研究会の企画にあたっては「建築におけるオリジナルの価値に関する[若手奨励]特別研究委員会」(委員長:赤澤真理)の協力を得た。
(文責:鈴木智大)
研究会の様子